新・やる気伝道師日記

鼓腹撃壌(こふくげきじょう)

BY:出路 雅明
2015年02月01日
コメントはまだありません

先日のブログで書いたように、これからは、

今、感じていること、考えていることだけではなく、

未来に描く理想についても書いていこうと思っています。

早速ですが、本日は私自身の未来の理想イメージを書きます。

そんなふうに思い、そんなふうに考え、

そんなふうに振る舞える自分になれたらいいなって

理想的な未来イメージです。

それは中国の十八史略の中に出てくる

「鼓腹撃壌」ってエピソードです。

 

鼓腹撃壌 

 そのむかし、聖天子の聞え高い帝尭のころの物語である。
尭は位に即いてからこのかたひたすら心を傾けて、
天を敬い人を愛する政治をとり行い、
天下の人々から慕われた。
太平無事の月日がつみかさなって、いつしか五十年がすぎた。
あまりの平和さに、尭の心にはかえって
一抹の不安がきざす。
 
「いったい天下はいま本当にうまく治まっているのだろうか?
  人民たちは本当にわしが天子に戴くことを、
  願っているのだろうか」
 
 尭はそのことを自分の目で視、耳で聴いて直接確かめようと思い
ある日のこと、目立たぬ衣服に身をやつし、
こっそり町中にしのび出た。
とある四辻に通りかかると一群の子供たちが手をつないで遊びながら
こんな唄を歌っている。
 
我が烝民を立つる、
爾の極をあらざるはなし。
識らず知らず、
帝の則に順う。

(天子さま 天子さま
   私たちがこうやって
   元気に楽しく暮らすのは
   みんなあなたのお陰です。
   私たちはこうやって
   何にも知らずに気にもせず
   みんなあなたを頼ります。)

子供たちの無邪気な歌声は尭の胸の中までしみこむように響いた。

「ふうむ、
  そうか。
  子供たちまでがわしの政治を・・・・・・・」

尭は満足げに呟いたが、ふとまた新しい疑問が心の中をかすめる。

「だがまてよ、
  子供たちの歌にしては少しできすぎていはしないかな?
  あるいは誰かの大人の入れ知恵かもしれんぞ。」

 心の不安を追い散らかすように、
尭は歩調を早めて先に進む。
いつしか町はずれまで来てしまっている。
ふとかたわらに目をやると、白髪の老百姓がひとり、
食べもので口をもごつかせながら、
木ごま遊び–撃壌(壌をぶちけあって勝負をきめる遊び)に
夢中のありさま、お腹を叩いて拍子をとりながら、
しわがれた声でつぶやくように、
だが楽しげに歌っている。

日出でて作き、
日入りて息う。
井を鑿ちて飲み
田を耕して食う。
帝力我に何かあらんや!

(日が出りゃ
   せっせと野良仕事
日ぐれにゃ
   ねぐらで横になる
のどの渇きは
   井戸掘ってしのぐ、
腹の足しには
   田畑のみのり。
天子さまなぞ
   おいらの暮らしにゃ、
あってもなくても
   おんなじことさ。)

今度こそ尭の心は
隅から隅までパッと明るく晴れ上がった。

「そうか、
  これでよいのじゃ。
  人民たちが何の不安もなく鼓腹をうち撃壌をして、
  自分たちの生活を楽しんでいてくれる。
  これこそわしの政治がうまくいっている、
  証拠というものじゃわい。」

宮殿に帰りを急ぐ尭の足どりは、
さっきと違って浮き浮きと軽かった。    (「十八史略」)